私は未だ開業しておりませんので、先輩として上手くいったことや、失敗談を語れません。
今日は、皆さんの知らない私の窓を開けたいと思います。
①遠州横須賀の笛吹き 私の住む遠州横須賀の祭りは、お囃子をとても大事にします。
特に笛は調子がとても良いのですが、習得が難しい為、他町から笛吹きを招きます。
町の人たちが総出で参加し、笛吹きを接待してくれ、若い女性からも遠州横須賀の笛吹きはモテモテ?と信じて(笑)名人といわれる師匠に習い、その腕を認められれば、笛吹き師として周辺の祭りに派遣されます。
本当は六曲ありまして、30分間吹けますが、江尻先生より5分間とのお達しがありましたので(笑)この4曲にお付き合い下さい。
②不幸の履歴書 私が歩いてきた出世街道は平坦ではなかった話し。
不幸の履歴書は、ワハハ本舗が行うセミナーの冒頭、自己紹介コーナーで、自分の不幸を見つめ、告白し笑い飛ばしてしまおうという企画 今日は私がカミングアウトします(笑)私は、同じ会社に30年在籍して20年以上管理職として勤めてきました。
人を自分の思いどおりにするため、人に恐怖を植え付け、ルールを作り押し付けました。
そして、罪悪感を利用し支配してきました。仕事の面白さは、自分のビジョンを採用することにあります。自分を会社における映画監督のようなものだと考えるトップがいて、会社にいる人々はその1人のビジョンをかなえるために存在している。
自分の信念をビジョンに注入することが仕事であるという考えは、それを社員に受け入れさせることも仕事であると考え、反対意見や別の考えを切り捨てます。
私はそう感違いしていました。ボトムアップの中間管理職として、問題が発生した時、自分が環境に左右されていることに気づかず、自分でコントロールできると思い込んだのです。実績を上げた優秀な管理者として、いくつもの決定を下し、複数の重要な局面に同時に対処し、人々を何日も当惑させた状況を 一瞬にして解決する判断してきたつもりですが、それはごまかしでした。
常に明快で決然とした態度を取り、問題を即座に解決するため、細部を理解しようとしませんでした。
また、私は自分が全ての答えを持っていると考え、新しいことを学ぼうとすることもありませんでした。
リスクを取らず、過去に成功をもたらしたことを行い、失敗しました。私はある役員さんのお気に入りとして、30歳から子会社の経営に関わっていました。
品質管理の手法を外部から講師を招き学び、すべての工程を文書化し、マニュアルを作り権力を得たのです。さらに新たに買収した会社でも、この手法を使って実績を上げました。
さらにその実績を買われ、本社の事業部長に抜擢され二百億円規模の事業を任されました。すべての答えを持っていると考えた私は自信満々でした。
しかし、ものごとの別の視点を持たず絶対に確かな方法、安定したビジネスモデルに執着した、これで治るという自分の経験しかない、勉強しない整体師だったわけです。
③ フミユとの出会いと式年遷宮 リストラされ、組織を管理する必要も無くなり、ただポッカリと時間が出来ました。
整体はもともと苦手だったが、妻はフミユに通っていて、あの先生はスゴイといっていた。
何かがそこにあるんではないか?
その疑問を解明したくてスクールに入りました。
先日、伊勢神宮に行き、式年遷宮に心打たれました。
20年後に向けてお金を貯め、木を切り出し準備をし計画を立て実行します。
私も来年に開業し、伊勢の次回式年遷宮までやり続けることを誓います。
鈴木マサ