はじめに

この記事はFTA整体スクールの前身
2004年に開校した
「フミユセラピストアカデミー」の
WEBサイトの記事から引用
加筆修正したものです。

きっかけ革命

きっかけは・・・ある日突然に!

32才の時

その気もないのに冷やかしで
ある新興住宅地の建売住宅を
見学に行った。

後日そこの営業マンから
しつこく電話攻勢され
あまりの熱意に絆され

気が付けば家にその営業マンを
呼んでいました。

あれよあれよという間に話は進み
「マイホームも夢じゃない!」
そんな気分になりました。

そこで私は「住宅購入」という
崖っぷちに立たされました。

親切な営業マンに背中を押され
人生初の大金借り入れレースが
始まりました。

キャッシュでポンッと
住宅を購入できるくらいの現金は
当然持っていません。

住宅ローンを組むことになります。

住宅ローンを組めば
とんでもない利息が
返済に重くのしかかってきます。

のしかかってくるのは
我が家の家計にではありません。
私の「おこずかい」にです。

それは現実となりました。

マイホームは男の甲斐性で
実現させましたが

私のおこずかいは
とんでもなく
減少してしまったのです。

今まで当たり前に楽しんでいた
テニス・ウィンドサーフィン・スキーを
続けることが難しくなってきました。

そこで考えました。

減少したおこずかいを
最大限有効的に活用するには
どうしたらいいのか?

しかも楽しく。

出した答えは
「スポーツジムの会員になること」
でした。

会員になって月謝を納めていれば
何回行っても同じ料金でOKなので。

30才を過ぎて
お腹につきはじめた肉も
気になってきていたし・・・。

フィットネスクラブに通うってことが
ファッションの一部になりつつある時代でした。

流行だったのも良いタイミング。

流行の先取り。

そう自分に言い聞かせ
わたしの革命はスタートしました。

私の脳は
柔軟なのか単純なのかわかりませんが
新しい何かを見つけると
順応してくれるようです。

スポーツジムに通いトレーニングしていると
ぐんぐんと水泳で鍛えた学生の頃の体に
戻っていきました。

快感でした。

そこで筋肉や骨格や栄養など
体の仕組みを勉強しながら
自分の体をデザイン出来る
面白さにはまりました。

完全に自己満足の世界です。

でも

「なかなかのものだなぁ!」
なんて楽しんでました。

楽しくて楽しくてやっている内に
しばらくすると「体づくり」の
オタクになってました。

そんなある日(この頃まだ私は魚屋家業中)
ある広告が目に留まりました。

「整体が勉強できる会」の広告でした。

「冷やかしで行ってくるかな?」と
広告に反応。
(あれ?!住宅見学と同じ?)

そして私の柔軟な脳は
また素直にその説明に
順応してしまったのです。

講義は素晴らしいものでした。
手技のデモンストレーションも納得。

インストラクターのテクニックに
感動していました。

私の素直な脳から
体中へ刺激が伝播し
細胞が騒ぎ出しました。

「いつも冷やかし気分の行動が
現実になって
次の展開がくるんだよなぁ。」

行動を起こす
「きっかけ」のパターンは
いつも決まってました。

→広告を見て反応(冷やかしにでも行こうか)
→会場に足を運ぶ
→説明を聞く
→その気になる
→GO!

そんなきっかけがあり
大きく人生が変わっていく。

そんなパターンです。

整体を習うなんて
考えてもいなかったし
プロになって開業したいなんて
思ってもいなかった。

ただマッサージされたり
体を鍛えるのが好きだっただけ。

例えば

「女優になるつもりは全然なかったです。
たまたま友達と渋谷を歩いていたら
スカウトされて・・・モデルになって
CMに出て、ドラマに出て、映画に出るように
なったんです。」ってケース。

私の場合もこれと同じです。
(ちょっと違う?か)

それにしても
「きっかけ」は突然やってくるもの
なのです。

たった一つの広告から
私の人生は大きく変わっていきました。

技を学ぶ

整体を勉強する場合
ほとんどの方はお金を出して
学校に入ります。

他の方法は弟子入りです。

弟子入りは
余程のコネや縁がないと
無理です。

コネがあっても
「空き」がないと難しいし。

そう考えると現実的でない。

そもそもどこに「空き」があるのか?

今の時代のように
インターネットもHPも無い時代は
たどり着けない。

なので

広告から説明を受けた整体の会が
良いものなのか?悪いものなのか?

自分で判断するしかありませんでした。

多くの整体学校は二年制です。

国家資格ではないので
三年制のところは少ないでしょう。

金額は調べればわかります。
200万~300万くらいです。

まあ色々な課題は出てきました。

ですが経済的余裕のなかった私は
「この会」に
お世話になることを決めました。

「この会」というと
怪しく聞こえてしまうでしょうから
「学校」としますね。

この学校は短期集中のカリキュラムを
数年かけて行う当時としては
親切なシステムでした。

私のように
仕事もありながら学びたい者には
好都合のシステムであり学校でした。

この学校でも柔軟な私の脳は
よ~く活躍してくれました。

手技も理論もすべて全力で勉強できました。

脳が「面白い」と感じていたからです。

学校には憧れてしまうほどの
技をもつ講師がいました。

「いつかはあの講師の元に弟子入りしたい!」
と考えました。

でも弟子入りさせて下さいなんて
なかなか口に出して言えない。

自分が出来ることとして
その講師の追っかけをしました。

すべてを物まねして自分の形にしていきました。

ある時あこがれの講師に
図々しくも尋ねてみました。

「先生の治療院に見学に行っていいですか?」と。

そこで「OK」の返事をもらえました。

憧れの講師に近づけたことで
私の整体への想いは
より上昇しました。

そして
「講師になりたい!」という想いも
湧いてきました。

講師になるには講師になる勉強を
しなければなりません。

人に教えるということを勉強しないといけない。

家業プラス整体プラス
講師になるためのエトセトラ・・・。

毎日寝る間を惜しんでの勉強でした。

でも楽しかったので出来ました。

おかげさまでしばらくして
講師にも任命されました。

すばらしい技術や理論も
この学校でたくさん
学ばせて頂きました。

そんな状態で
家業の魚屋と整体とを
当たり前のようにこなしていたある日。

いつものように出張整体から
白衣姿で帰宅ときの話です。

少し遅い時間でしたが
娘(当時中一)が起きていて
私の姿を見るなり

「パパは魚屋の白衣より
整体の白衣の方が似合うね。」

そう言ってくれたんです。

この言葉で決断!

家業であった魚屋を辞め
整体師として生きていくことを
決めました。

ここで話をやめれば
カッコいいんですが・・・。

実際は決断したものの
現実は悩んだ悩んだ!

住宅ローンも
家業のことも
女房のことも
収入のことも

いろんな悩み事が頭に出てきます。

わざわざ整体を専業にしなくても
毎日おかげさんで整体業は忙しい。

副業としては成功してる。

しかし
しかし・・・。

「整体師一本で生きていく。」

いくら悩みやネガティブな気持ちが湧いても
気持ちはもう決まってました。

経験を重ねる

決断した後
具体的にこの先どうしようか?
いろいろ考えました。

学業が終わった後に
どこかで働きながらさらに
勉強する手もあります。

今の時代なら
各種リラクゼーションサロンで
アルバイトすることも出来ます。

どうしようか?
どうしたらいい?

「どこかに勤めるか?」

でもこのパターンは好きじゃなかった。

もしあなたがこんな状況なら
わたし的にはあまりお薦めしません。

理由は雇われグセがつくからです。

せっかく技術を覚えたなら
独立した方がいい。

一番の近道です。

この仕事は独立しないと
意味がないでしょう。

人の店では経験の枠が
狭くなってしまうのです。

あなたを指名する顧客が沢山いても
お給料は決められています。

急には上がりません。

あなたを指名してくる顧客は
その店・サロン・治療院に
来ているわけですから
これは仕方がない事です。

独立する

自分で開業する。
独立する。

そう考えた時に重要なのは
自分の脳みそで考える整体師に
ならないといけないということです。

どうしたら治せるか?

どうしたら喜ばれるか?

どうしたら安心してもらえるのか?

どうしたらリピートしてもらえるのか?

どうしたら口コミしてもらえるのか?

そんな疑問に自分で答えを見つけていく。

中でも一番大切なことは
新規顧客はどう集めるか?です。

1,どうしたら新規顧客が来てくれるのか?

2,そもそも新規見込み客を
どのように見つけるか?

これを考える必要があります。

1と2は成功するための必須事項です。

ちなみに
フミユセラピストアカデミーでは
「ベーシックコース」
「アドバンスコース」終了とともに
このマーケティングの部分を
一緒に勉強していきます。

※FTA整体整体スクールでも
フォローアップとして参加できます。

続いて
なぜ私の患者さんが増えたか?
についての話です。

■理由その1
少ないテクニックでも
汗をかいて一生懸命に施術した。

■理由その2
良くなってもらいたい!絶対に治す!という
「思いの強さ」が半端でなかったこと。

いま思えばある種怖いもの知らずでした。

現在のテクニックの5%もなかったあの頃
整体という手技療法は
全ての症状の根本療法である!

と、強く思っていましたから。

■理由その3
施術前と後に丁寧に患者さんに
カウンセリングやケアのアドバイスをした。

当時こんなに丁寧なセラピストは
近隣に皆無でした。

■理由その4
出張専門でしたから必ず施術時は
そのご家族も一緒に体の歪みをチェックし
健康アドバイスなどして次回に
繋げていきました。

■理由その5
「名刺」と「予約券」と
「初めて整体を受けられる方へ」
(A4サイズのチラシ)を作成。

施術後に気をつけてもらうことや
体の歪みを家族でチェック出来る方法の
「無料セミナー」も開催しました。

こういった理由が
魚屋の副業でやっていた整体業に
お客さんが付いてきた理由です。

そんな「やり方」以外に
「あり方」にも気をつけました。

当時も今も絶対に口にしないと
決めている言葉を使わないように
徹底しました。

「また誰か紹介してくださいね。」

「もし他にも腰痛や何かで困っている
人がいたら連絡してくださいね。」

そんなお願い営業はしなかった。

本当はその言葉がノドから出そうに
なったこともあります。

でも

職種的におかしな営業を
掛けるのはカッコ悪い。と
自分で決めていました。

口から出す言葉と
理由1から5の徹底。

その結果が
取り繕ったような営業言葉は一切ナシで
施術に通う患者さんからは必ず紹介が出る。

そこからまた患者さんが
次の方を紹介してくれる。

という
伝言ゲームのような
大変ありがたい状況に
つながっていきました。

この頃は魚屋の休日以外の夜のみの施術。

毎週15人くらいの予約をこなし
15人×4週=60人という施術数。

これが整体をスタートし
半年から1年半後の副業実績でした。

月間60人という数が
多い方なのか?少ない方なのか?

見当はつきませんが
業界の中では少しヒマな治療院
くらいの数字じゃないでしょうか。

ただしこの期間
私は施術料を1円も
もらっていませんでした。

なぜなら修行中だったから。

ノウハウと経験の貯金中と
割り切っていました。

生活は昼の仕事(魚屋)で
出来ていましたからね。

では「理由その6」として
無料だから患者が増えたのでしょうか?
という話なんですが・・・。

これは
「いいえ、違います」と断言できます。

なぜなら皆さん
「お金をとってくれないと
施術してもらいにくい。」と
言ってくれていたからです。

でも断固として私は
いただきませんでした。

「私はまだ勉強中です!」
「修行の身です!」

この一点張り。

この頑固なスタイルがかえって
他の治療家の先生方との差別化となったり
施術への強い思いが伝わるきっかけに
なっていたのは否定しません。

でもタダだから軌道に乗った訳じゃない。
そこは念を押しておきます。

整体には整体以上のチカラがある

整体をしていると不思議現象というか
奇跡的なことが沢山おこりました。

長年の痛みや不調で
色々な治療を受けていた人や

「もう治らないだろう」と
あきらめてしまいそうだった人が
修行中の新米整体師の施術で
良くなっていったのです。

不思議で仕方ありませんでした。

新米先生のアプローチなのに
お客さんの体が良くなっている
という事実。

そこで無心に一生懸命に汗をかいて
施術している私という存在。

うーん・・・なぜこんな現象が起きてるんだろう?

ひょっとして!

気付いたことは
「私のしてる事はこの業界の隙間なのか!」
ということでした。

それまでの整体業界には無かった
異質で個性的な整体を提供していたようです。

「していたようです。」と表現するのは
戦略的に意識してきた仕掛けじゃなかったから。

顧客満足度が満たされる本質的な部分
「感動してもらう」ことと
「お客さんへの教育をする」こと。

そんな二枚看板にアプローチできていたから
うまくいったんだ。

そんな事に気付きました。

私はまだ半年から1年半のキャリア。
周りの先生方は開業しているベテラン。

でも私のやり方はお客さんに圧倒的に支持されている。

ベテラン先生方はなぜ私が支持されているのか?
根本的なところに気付いていない・・・。

私は天狗になりそうな鼻を押さえ
日々をこなしていたのです。

プロの客としてリサーチ

他にしてきたこと。

「プロの客」としてのリサーチ(市場調査)も
欠かしませんでした。

タウンページを見たりして
今回は腰痛の日。今回はヘルニアの日。と
自分が患者になりきり設定を決めて
次々と治療院に体験に行きました。

そこで分かったことは

①まず検査をほとんどしない。
していても
その検査と施術内容がつながらない。

施術後、再検査をして違いを
カルテに記録する様子もない。

ほとんどの治療院がそうでした。

②整体・カイロ・脊椎矯正
看板で大きく謳っているわりには
矯正はしてなくて
ほとんどがほぐしや揉みばかり
していました。

腰椎近辺の「何か」をバキッと鳴らす
とてもアジャストメントとは呼べない
整体・カイロ・頚椎矯正モドキ院でした。

これは未だにそういう傾向が強いです。

③首の治療がまともに
出来ている所が無かった。

この3つが見えてきたことです。

とても大きなチャンスだ!
と感じました。

このとき私の技量も
リサーチしたところと
同等くらいでした。

でもそんなレベルの整体院でも
開業してて商売が出来ている。

そこで体験したことと自分がやってきたこと。

これを比較していったことで
修行中と言いながら顧客が増えていった
やり方は間違いナシ!と
確信につながりました。

確信を持ったやり方の部分

確信を持ったやり方(施術)とは

1.カウンセリングを十分にする。

2.検査・施術の徹底

3.自分で出来るケアや体操のアドバイス

4.アドバイスどおり日常を送っているかのチェック

5.自分で出来ない人のみお手伝い

6.誰にでも解る言葉を使い「整体施術の方針」を説明する

リサーチによって他には
安全管理や衛生面の
具体的な気付きも得ることができました。

この体験の積み上げは
後になって私の独自スタイルを作る
大きなオポチュニティ(機会)となりました。

いままでの整体院のオカシナ所

最後にもう一つ。

当時の治療家に共通していた
欠点にも気付けました

「陰気くさい」
「気難しそう」
「口下手」
「地味すぎ」

というものです。

当時はそれでよかったのでしょう。

ですが
これからの時代はそんなスタイルでは
流行らないと直感しました。

だからといって

「陽気すぎて、派手で、おしゃべり好き」

これも職種上いかがなものか?
と思います。

この職種はまず

●清潔であること。

●立ち振る舞いがスマートであること。

●声のトーンを演出すること。

●安心感を与えるオーラを漂わせる。

こういった部分が何より
大切だと気付きました。

店舗やサロン内をどうするか?

気になるかも知れませんが
実際そんなことは後々の話なのです。

施術もそうですが
多くのお店が集客でも
間違ったことをしているのに気付けました。

多くのところでは
2年制の学校を終え
店舗に気を使い
チラシをまいて開業する。

こんな流れで営業していました。

でもこの流れは
不動産屋さんや内装工事屋さん
広告屋さんや新聞屋さんに
流通をおこすだけ。

肝心の集客には繋がりにくいんです。

出会いとオンリーワンそして事業

副業である整体が大忙しになってきました。

その頃には家業の魚屋の仕事に
トキメキというか、やりがいを
感じなくなってきていました。

私は次男だし
このままの形で生涯進むのか?

この時期は本当に悩みました。

魚屋という立派な家業のバトンを
渡してくれた母の言葉も
何度も何度も浮かんできました。

兄のことも、家族の事も。

悩みに悩みました。

でも
自分の気持ちは決まっていました。

そして整体師としてやっていく
ということを妻に告げました。

妻は反対するだろうと思ってました。

しかし妻は
「家業を辞めて独立」を望んでいました。

急なような急でなかったような独立でした。

晴れて私は整体で食っていく
専業治療家の道を
歩みだしたのです。

そして独立したら
三年以内に会社を設立する!とも
自分に約束しました。

オンリーワン

オンリーワンという言葉。

SMAPの歌のずっと前から
私の大好きなフレーズでした。

「選んだ分野でオンリーワンになる」

その部分はずっと意識してました。
常にアンテナを張っていました。

なぜその技術を使うのか?

その技術を使ってクライアントや地域
社会に何をするのか?

既存の「整体」というイメージの
誤解や認識を自分がどのように
変化や進化をさせ知ってもらうのか?

それをいつも具体的に
考えるようにしていました。

オンリーワンになるための
これは戦略と計画です。

余談になりますが
戦略と計画とは

いつ
どこで
誰と
どのような方法で
幾らかかるか?

それを具体的に考えておくことです。

出てきた答えやアイデアは
すぐ実行に移していきました。

その流れで各種療法にも
興味が湧き出しました。

香港・アメリカ・ハワイなどにも
勉強に行きだしました。

ますます本格的に上を目指したくなり
勉強の虫となりました。

このあたりから妻に

「もう我が家のお金は尽きました。
勉強はもういいですから
そろそろ稼いでください。」と
言われるようになりました。

衝撃的な言葉でした。

それまではずっと整体で得た収入は
勉強代として右から左に
流れていました。

妻にしてみれば
こんな状態がいつまでつづくのだろう
という不安があったのでしょう。

妻の優しくもあり
厳しすぎるこの言葉で
私自身も自分のオタクぶりに
完全にやられました。

何にでも興味がある私は
整体を通じて出会った各地の先生とも
交流しあいました。

地方の先生方の治療院訪問や見学
勉強にもよく出掛けていました。

そしてひょんな事で出会った
鍼灸の先生の話です。

その先生の
ビジネスセンスにまたまたショックを
うけてしまいました。

その先生は私より7歳年下でしたが
当時すでにベンツのSに乗っていました。

この先生との出会いで
私の脳みそは少しずつですが
ビジネスに目覚めていきます。

本当に良いきっかけになりました。

この先生のやり方は
低価格の安心な治療院内で
「美のミニサロン」をしていました。

自分は施術と技術指導をして
フランチャイズ化し
店舗を増やす

ということをして稼いでいました。

私は自分の感性と直感を信じています。

この先生は信用できるし肌が合う。

というで
全ノウハウを学ばせてもらうことにしました。

そして自宅から少し離れた隣の市に
「美のサロン」をオープンさせたのです。

経済的にも人を雇う余裕はなかったので
家内を店長にし
美の部分を任せました。

都合のいいことに妻は以前
美容関係の仕事をしていたことがありました。

お陰ですぐサロン展開に対応できたのです。

ありがたや~。ありがたや~。

おかげさまでサロンも大繁盛。

この時に法人化するといった
自分との約束が達成でき
「有限会社フミユ」を設立しました。

まさに
出会いはチャンス!

その通りなんです。

積極的に新たな領域に踏み込んで
いった方がいいですよ。

そして色々な方に会ってみてください。

出会いはチャンスですから。

からだ工房フミユ

1998年「からだ工房フミユ」をオープン。

美と健康の応援団という
独自のノウハウをスタート。

エステと整体が同時に受けられる
サロンは当時ありませんでした。

しかもどちらも(手前ミソですが)
本物志向で本格的です。

☆腰痛で通っていた患者さんが
腰痛が良くなり
ついでにエステでお肌もキレイに。

☆肩こり患者さんが
ダイエットコースに。

美容目的のお客さんにも
症状を抱えた患者さんにも
この利便性は大いに喜ばれました。

健康=美ですし、美=健康ですから。

このサロンには
健康グッズやサプリメント
スキンケア製品やコスメ製品などを
陳列しました。

ポイントは販売がメインでない所。
あくまで情報提供というコンセプトです。

整体で外側から体の改善を促し
内側からのアプローチとして
さまざまなアイテムをオススメする。

販売がメインでないので
陳列してある製品は全て
自分と家族が愛用しているものを並べました。

自分が好きなものしか
勧められませんから。

こうして体全体のアドバイスを
させていただきながら
患者さんと接していきました。

「からだ工房フミユ」の患者さんは
ご家族で通って下さる方が多かったです。

わたしの店をクチコミで
多くの方に紹介してくれます。

美と健康の応援団としては
大変嬉しく思います。

発想は単純です。
「こんななお店があったらいいな・・・」
を形にしただけなのです。

小さいながらも美と健康の複合サロンを
オープンしたときは43歳でした。

振り返ってみれば
自宅のリビングを片付け
施術ベッド二台を置き
簡易の間仕切りしただけの治療院。

そんな所で7年間やっていました。

家族にも不便をかけたし
当然患者さんにも
ご不便をお掛けしました。

でもこの時期の下積み経験が
次へのバネと活力に繋がっていったのです。

この7年間は大変貴重で充実した時間でした。

自分の感性を信じて

商売でもなんでもそうだと思いますが
うまくいく為には

「他人のやらないことをやる」か?
「ほかの人と違う方法でやる」のが
近道なのです。

そして

「自分を信じて諦めないこと」

じゃないでしょうか。

現在進行中の新たなる意欲

2004年わたしは50歳を迎えました。

そこである限界を感じていました。

それは私のポリシーでもある
「誰にも雇われないし、誰も雇わない」
という仕事に対する姿勢の限界です。

年のせいか肉体的なキツさを
感じるようになってました。

家内もエステで一日中働いている。

このままでは自分の体が
ガタガタになってしまうのでは?

そんな事を思うようになっていました。

今まではそれで満足でしたが
やはり一人のキャパはたかがしれています。

ここに来てまたまた
50歳のオヤジは悩みました。

枠を広げるか?

このまま体力とともに
先細りになるか?

このとき私は経営者の脳ミソに
なり始めていました。

人生仕事だけが全てではない。

だけど好きなことを仕事に出来て
ご飯も食べられてローンも早く返せたのも事実。

これって世間でいう
「上手くいってる」
って事じゃない?

(小規模ながらも)成功してるって
ことじゃないのか?

感性と直感で突き進んできたことだけど
わたしがしてきた技術やノウハウを
人に提供できるのではないか?

そうです。
技術を教えるスクールのアイデアでした。

秘密の秘密にしてきた方法を
人に教える。

そして人に喜んでもらう。

その人たちの喜ぶ姿を見て
私がもっと感動して・・・。

そんな妄想というかイメージが
どんどんアイデアと共に
湧いてきました。

あっという間にノートいっぱいの
シュミレーションが出来あがりました。

(今でも常時「アイデアノート」は
持ち歩いています。)

「意欲」「情熱」「ワクワク」あとは
「計画」と「行動」です。

「人に技術を施す」
これは技術の小売です。

「その技術・ノウハウを提供する」
これは技術の卸売です。

しかし技術の卸売ではヤボだ。

私の考え出したタイトルは
「技術を覚え、起業し
人生を縦横無尽に生きる方法」でした。

まさに自分が年月をかけて
実践してきた事です。

自分の知識と経験がコンテンツになる。

そうだ「コンテンツビジネス」にして
より多くの人に喜んでもらおう。

それが現在の
「フミユセラピストアカデミー」の
始まりです。

イメージが形になる

私は海が大好きです。

青春時代に海のスポーツを楽しみました。

仕事や住宅ローンや
社会の中での日々は私を
普通の50代に近づけようと
誘惑しました。

ですが

頑固な私は
「海のことも」
「青春時代も」
忘れませんでした。

ずっとずっと
「海の見える場所に住みたい!」
と願っていました。

あるとき
仲の良い不動産屋さんに
ポツリと話した会話です。

「海の見える土地を探して
おいてくれたらいいな~」って。

そしたら不動産屋さんは
ちゃんと覚えてくれていて
「以前言ってた海の見える土地があったよ」と
物件を紹介してもらえたのです。

長年のイメージが形になりました。

最高のロケーションで270°位の
オーシャンビューが楽しめます。

日の出から日の入りまで
まるで絵画をみているような美しさです。

海の上に浮かぶ富士山もオツなものです。

1Fは生活スペース。
2Fは道場(スクール)です。

これは我ながら
癒しとエネルギーの
ダブルスタンダードだー!!!!

と叫びたくなるスポットが
私の手に入りました。

ウルトラの星になる

フミユセラピストアカデミーでは
私たち治療家、セラピストが
どのようなカタチで
社会に貢献できるのか?

そして

私たち自身のライフスタイルを
ハッピーにする為に
スクールの垣根を超えて
卒業生や受講生、講師も含めて
参加できる全ての人で

交流会や院外活動、地域ボランティアなど
社会貢献活動をしています。

これは社会の為だけではありません。

私たち治療家、セラピストは
独立開業してしまうと
一人の時間が増えていきます。

痛みや不調という患者さんの
大きな敵と戦う毎日の中で
ちょっと疲れてしまった時に・・・。

不安定な社会の中で
どのように経営していこうか?
ちょっと迷ってしまった時に・・・。

そんな治療家やセラピストが
自分自身を癒す場としての
機能を果たしたいからです。

古い例えですが
ウルトラの星のようなもの。

私たち
フミユセラピストアカデミーは
ウルトラの星であり続ける事を
約束します。

あのウルトラマンでさえ
地球上では3分間しか戦えなかった。

疲れ果ててしまった時は
元気と気力を回復する為に
ウルトラの星に帰ったのです。

私たち治療家やセラピストも
同じだと思います。

社会という大きな敵と戦い続け
自分の中にある叶えたい夢に
全力で走っていると
たまには疲れる事だってあると思います。

そんなとき本当に必要なのは
中途半端に優しい言葉を
かけられる事じゃない。

そっと肩に手を置いてもらう事
ではないと思います。

本当に必要な事は
共に頑張って全力で走っている
仲間達の笑顔と笑い声。

そして

黙って見ていてくれる
師匠の存在ではないでしょうか。

繰り返しますが
フミユセラピストアカデミーは
スクール卒業生にとって
ウルトラの星であり続ける事を約束します。

私にはウルトラの星であり続ける
覚悟があります。

2023年の2月になって

フミユセラピストアカデミーを
開校してから数年後

ある考えが頭に浮かぶ
ようになりました。

「この仕事をどう終わらせようか?」

決意を持ってウルトラの星に
なったけれど

将来間違いなく
スクールも現場の仕事も
終わらせなければならない時が
必ず来る。

その時までに
お金をかけて学んだ
最新のノウハウや経験を
自分の教え子には伝えたい。

そして

これから整体師を目指す人や
現在整体師をして谷間で
もがいている人にも伝えて

私の実績以上に
社会に貢献して欲しいなぁ。

こんな事を考えていました。

奇しくも
2012年9月9日に
アクシデントに見舞われ
その考えは想定したよりうんと早く
形になってしまいました。

どんなアクシデントだったのか?

これは詳しく
拙書「毒縁会: 海辺の合宿 」に
書かせていただきました。
ご興味ありましたら一読下さい。

アクシデントがあってからは
フミユセラピストアカデミーは
新規受講生の受付を一切
ストップしていました。

その時から10年後の2023年2月。

愛弟子達が成長し
私の技術や考えや想いを受け取り
人に伝える準備が出来ました。

そして開校したのが
FTA整体スクールです。

再びフミユセラピストアカデミーの
技術をFTA整体という場で
社会に広める機会がまた持てたのです。

この機会を何より嬉しく思います。

フミユセラピストアカデミー
代表 鈴木 暁光

開業しても失敗しない整体師になる方法

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