This is my life 大松すずき
このタイミングで考えみた3つの長続き出来た事
- ホンダで働いてきた26年
- 投資を始めた25年
- 整体を勉強してきた 22年
- ホンダで働いてきた26年間働いてきて、過去を振り返ると、
高卒ながら、現場から事務職への移動、海外出張、駐在、ステップアップ等
色々大変な事もありながら、普通では経験出来ない事もやってきました。
みな平等の考えのもと、関わってきました。
とても優秀な人がいるなかで、どれだけ共存するかを学んできたホンダライフでした
- 投資をなぜ始めたか?やってみた経験値として考えた事
・お金を稼ぐことの大変さを身近に見ていた。
・朝から晩まで走り廻る親をみて、稼ぐ事の大変さと限度を感じていた。
・複利の可能性は無限である。継続こそが一番重要視する事である
- 整体をなぜ勉強したいと思ったか?楽しいと思える瞬間がどこにあったか?
・最初は、先生との繋がりのキッカケになった友人と一緒に行った事
・先生がやることだから面白そう!最初のきっかけはそこだったのかもしれません。
・一番難しい患者さん(先生)の整体から、学ぶ事が沢山あり、深みにハマった事
すべての事について、最初は、他のひとのやっている事に便乗してやってみる。
その後、楽しくなったら続けるという事で、いろんな事をやってみました。
今の自分を形成しているものが何かと考えた時
・やってみる。続けてみる。教えてくれる人を探し、楽しさを知る。
少しずつでも成長出来たらうれしい。その気持ちだけでやってきました。
無知のままやってみる。出来るかどうかは後からついてくるので、
それが結果楽しくなればいい。無頓着なままいろんなものに手を出してきました。
ここまで振り返った時に、社会人になって大きく変わった事がありました。
学生時代
いやな事、きらいな事を楽しい事と教えてくれる方に出会ったと考えました。
勉強、運動、人前で話す事。すべて嫌いな事でした。
しかし、社会人になって、すべて、社会人になってから本腰入れてやり始めました。
特に高校時代の自分からしたら考えられません。
すべては、人との出会いとキッカケだけで、全て突き進んでいました。
なぜ、このタイミングで整体に本腰入れてやろうと思ったのか
2026年9月 ちょうど一年前の事を思い出してみました。
ちょうど一年前のDOJO
IN and OUT
で変化のキッカケの事をお話ししていました。
その時には、
◆変化のきっかけは「人との時間」
20年前の“すーさん”に教えてあげたい。
「おめえさん、負けずに頑張れよ!」
と書いていました。
しかし、その一年後こんなことになるとは、
1年間のセッション時間もとても貴重な経験でしたが。
一年後、改めて自分自身について、改めて考えてみました。
ホンダの仕事も忙しく、不調が続いた日々がありました。
能天気なすーさんも大変な時期がありました
平日はホンダすずき、週末になり、海に来て平気を取り戻す。
自覚はしていなかったけど、ちょっとおかしい時期だったのかもしれません。
ちょうど1年前の9月ごろ、先生から、お世話になった、
看護師さんのところに行ってきて!と言われ、調べて、少し時間が取れそうな
時間を探し、10月末から2連休の4日間の休暇を取り 福島の地へ。
着いた時は、真っ暗ですごくへんぴな場所。
駅から、建物までの道のりも真っ暗、降ろされた場所はほんとに真っ暗
どこを歩けばいいんだろうと、携帯のライトを照らし坂道をあがり見えた明かり
しかし、建物の中には暖かい人間味がありました。
実質2日間のみでしたが、多国の方と一緒に作業を行い、なんでこの人たちは
こんなに心が豊かなのだろうと感じた瞬間でした。
そこについた時点でカラダの不調は全てクリアー
片言の英語でお話しし、その時間もとても楽しかった。
子供たちのふれあいの時間もとても晴れ晴れとしていました
帰り路、駅に向かい、単線の電車で外をみながら、考えてしまった。
このままでいいのか?25年間頑張ってきたホンダの仕事。
海外での経験も積めた。多くの部署の方と関わり、仕事が出来た。
本当に人に恵まれたホンダ人生であったが、
一通り、ホンダでやってみたい事は経験出来た。
ここにきている人たちは人生を楽しんでいる
仕事を一生懸命おこない、長い休暇をとり、また新たな世界に飛び立つ。
そして、また頑張る。
このままでいいのかと考えてしまった。
電車にのり、窓側の風景を見ていた時に決めました。
このまま縛られる人生はいやだ。
お金も十分貯める事も出来た。恵まれた環境で学ぶ事もたくさん出来た。
ここからは自分が飛び立つタイミングだと思い。決断しました
父親は朝から晩まで走り廻り、大変な思いをして働いていた姿を見てきました。
高校に入るころにはお米屋の自由化により下火になり、米屋を継ぐという話は
まったくなく、外で働けるようにと言われて、進学しました。
そのころは、自営業は大変な仕事だなあと思い、ホンダの道に進んでいます。
大松屋の看板が消えてはや、10年近く経過しました。
最初は大松屋米穀店から大松屋だけ残し、改修により何も無くなってしまった。
ただ、外でも、中でも我が家を大松屋と言っている。
どこかで、この言葉を風化させたくない気持ちがありました。
だからこそ、我が家の屋号を残すため、業態は変えながら、
心機一転がんばっていきます。
これからスタートラインに立ちます。
整体おおまつ すずき たかひと